2013年12月17日火曜日

坂井戸ノート①

坂井戸ノートは、
ふと思った事を記します。浅はかな知識の論述です。
気にしないで見逃して下さい。

生物と無生物について、近未来的発想として。

下記引用分

「動的平衡」
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ルドルフ・シェーンハイマーの発見した
「生命の動的状態(dynamic state)」
生命の定義に動的平衡(dynamic equilibrium)という概念
「生命とは動的平衡にある流れである」とした。
生物は動的に平衡状態を作り出している。
生物というのは平衡が崩れると、
その事態に対してリアクション(反応)を起こすのである。
(研究者が意図的に遺伝子を欠損させた)
ノックアウトマウスの(研究者の予想から見ると意外な)
実験結果なども踏まえて、
従来の生命の定義の設問は浅はかで見落としがある、
見落としているのは時間だ、
とし、
生命を機械に譬えるのは無理があるとする。
機械には時間が無く原理的にはどの部分から作ることもでき部品を抜き取ったり
交換することもでき生物に見られる一回性というものが欠如しているが、
生物には時間があり、つまり不可逆的な時間の流れがあり、
その流れに沿って折りたたまれ、
一度おりたたんだら二度と解くことのできないものとして生物は存在している、
とした。
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とある、
じゃあ時間もインプットした機械は生命となりうるのでしょうか?

例えば、
AI。人口知能が有ります。
細胞レベル。さらに遺伝子レベルの機械が有ります。
人の形などはここではあまり関係無いのですが、
細胞の機械は自己分裂もする。
AIが環境変化に適したもう一人の自分を改良して作る。
改良したもう一人の自分に過去のデータベースを
インプットもしくはコピー。

動的エネルギーはAIが自発的に得る。
石油か石炭・天然ガス・その辺の土や海水でも良い。
目の前に有るものをエネルギーに変えて
故障や停止状態を防ぎ生き続ける。
ここまでは現在機械と定義するわけで、

そいつはAIだから成長する。
まあ感情も持つようになるとする。
プログラムされる。
2001年宇宙の旅のHALのように
コミュニケーションも出来る(機械同士、生命とも)

それに上記の時間軸を足し、
プログラム。
一定の時間軸の流れの中で
機械①は機械②に①のデータ・知能・技術すべて伝達を終え
機械①は自動的に機能停止。

こうなると
生物の定義にあてはまるのでは?

逆に。
生命・生物に時間軸が無くなるメカニズム、
科学・医学(老化しない遺伝子構造)
まったく同等のクローンとか、
その辺が発達すれば、

生き物は生物では無くなるという解釈なのか?
機械も生物となりうる。

元の偉人達の定義があやふやに混在する日が、
そう遠く無い未来に訪れた時、

さらに生物とは何か?
という課題が生まれる。
生物の定義が
大きく変わってしまうのではと思う。

1000年後、大地には機械=生命、
生命=機械
しか居ない。みたいなSFのような事が
あってもおかしくないのではと思った。

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